漢方について

五臓と病気

漢方理論には、いろいろな「物差し」がある

 漢方には、症状が現れている部分だけをみずに、体全体をみるという特徴があります。そのため、例えば肩こりという症状が現れている場合にも、「気や血のめぐりが悪いのだろうか」「胃腸からくる症状かもしれない」「体が冷えに傾いているから、よけい肩が凝りやすいのだろう」など、いろいろな方向から探りを入れていきます。そして、全体のバランスを建て直すことによって、結果的に肩こりという症状を治していこうとするのです。  このような判断をするためには、たくさんの「物差し」が必要です。その物差しのひとつが「気・血・水」であり、これからお話しする「臓腑理論」でもあるのです。

 もうひとつ、知っておいていただきたいのは、臓腑といっても、西洋医学の五臓と漢方のそれとでは、少々認識が違うということです。漢方の臓腑理論は、何千年もにわたる病理現象の観察や、実際の診療をもとに培われたもので、日本でも、この考え方をもとに「心」「肺」「肝」といった臓器名が使われていました。西洋医学が日本に入ってきたとき、漢方とは身体の見方が異なるにもかかわらず、レバーを肝臓、ハートを心臓、と訳してしまったところが、混乱を招くもとになったといえるかもしれません。私自身も、患者さんから「鍼灸の先生に腎が弱っていると言われたのですが、私は腎臓が悪いのでしょうか」「肝が機能失調ぎみということは、お酒も控えたほうがいいのでしょうか」といった質問を受け、説明に苦労することがあります。

 一度漢方の考え方が頭に入ってしまえば、西洋医学の五臓に対する認識との関連性もわかってくるのですが、これから漢方に触れようという場合には、一度西洋医学的な知識は忘れて、頭をまっさらにしたほうが理解しやすいのではないかと思います。なお、混乱を避けるために、本分では、漢方的な見方をするときには「肝」「心」、解剖学的な見方のときには「肝臓」「心臓」といった表現をしていきます。

 では、漢方が考える五臓について、じっくり説明していくことにしましょう。

脾臓

おなかを大切にすることが、健康の秘訣

 子供のころ、お母さんに「冷えないように腹巻きをして寝なさい」といわれたことがあるはず。実際、寝相が悪くて布団をはいでしまっても、腹巻きをしていればおなかを冷やすこともありません。腹巻きは、おなかの大切さを知っていた先人の知恵の産物といえるでしょう。

 漢方でも、健康維持の基本となるのは、胃腸などの消化器を大切にすることだと考えています。食べたり飲んだりしたものを、体の役にたつエネルギー(気)に変えるのは消化器の役割だからです。他の臓腑や、皮膚、血、筋肉なども、消化器が作り出すエネルギーがなくては、本来の力を発揮することはできません。そういう意味では、消化器は体の元気を作るおおもとと考えていいでしょう。

 なお、漢方では、消化器のことを「脾胃」という名前で呼んでいます。これは、解剖学的な脾臓と胃をさすわけでなく、消化にかかわる機能すべてを含んだ総称です。ただ、脾胃という言葉はなじみが薄いため、ここでは、できる限り「消化器」あるいは「胃腸」という表現を使っています。

 さて、この消化器ですが、現代人の生活をみる限りでは、あまり大切にされているようには思えません。例えば、「肝臓が弱っている」などといわれると青くなる人も、胃痛や下痢には案外無頓着です。また、常に食べすぎや飲みすぎで、胃腸を酷使しているという人も多いようです。

 もちろん、胃腸の消化吸収力にも個人差があるので、今日はフレンチ、明日はてんぷら…といった生活をしていても、病気ひとつしない人もいれば、いつもより少し脂っこいものを食べすぎただけで腹痛を起こす人もいます。そのため、食生活を他人と比べて、「私はまだましなほう」などと安心するのは、少しナンセンスといえます。大切なのは、自分自身の胃腸のキャパシティに合わせた食生活を送り、その日の胃腸の状態に耳を傾けることなのです。

 例えば、いつも夕食をとる時間なのに、あまりおなかが空かないとき。まずは、どうしておなかが空かないのか考えてみましょう。もしかすると、昼食の時間が少し遅かった…という単純な理由かもしれませんし、ちょっと胃腸が疲れぎみなのかもしれません。いずれにしても、体はなんの理由もなく「食べたくない」という信号を出したりはしないものです。その信号を無視して、「食べなければ元気が出ない」などと、無理やり食べ物を詰め込むと、かえって胃腸に負担をかける結果になります。

 消化・吸収という行為は、考えている以上にエネルギーを使う作業です。時間ハードな運動をしたとき、旅行から帰ってぐったりしているときなど、疲れすぎて食欲が出ないことがありますが、これは、体が一時的なエネルギー不足(気虚)の状態におちいって、消化・吸収という仕事を拒んでいるから。風邪をひいて食欲がなくなるのも、体が風邪のウイルスと戦うエネルギーを温存するためなのです。こんなときは、食べるより、まずはぐっすり眠ることが回復の早道です。

「とりあえずビール」が、消化吸収力をさまたげる?

 それでは、どんな生活が胃腸に負担をかけているのか、もう少し詳しくお話しすることにしましょう。

 ふだんの食生活で最も大切なのは、量とバランスです。量のほうは、昔からいわれるように「腹八分」が基本。何をどれだけ食べるかということより、腹八分の感覚をつかむことのほうが大切です。また、たんぱく質やビタミン、鉄分といった栄養だけでなく、味や色などにも気を配ることで、よりバランスのとれた献立になります。漢方では、辛・甘・酸・苦・鹹(塩辛い)「五味」は、それぞれ五臓との関連が深いとされ、これらをバランスよくとることが健康維持につながると考えています。ちなみに、消化器である脾胃との関連が最も深いのは「甘」の味。「甘いものは少量であれば脾胃を養うが、とりすぎると脾胃を傷つける」といわれ、実際に甘いものの食べ過ぎで胃腸の調子を崩す人はかなり多いようです。自分ではそれほど甘党ではないと思っている人でも、砂糖がたっぷり入った缶コーヒーを一日に何本も飲んでいる…という場合もありますので、注意が必要です。

 また、冷たいものばかり飲んだり、お刺身や生野菜、生卵などのなまものをとりすぎるのも、胃腸に負担をかける原因になります。特に、食事の前の冷たい飲み物は、できれば避けたいもの。これから食べ物を受け入れようとしている胃に、冷たいものを流し込んでしまうと、胃の血管が収縮して動きが鈍くなってしまうのです。日本のレストランでは必ず氷入りの水が出てきますが、冷たいものが胃腸に負担をかけることを知っている中国人は、この習慣に少なからずびっくりするそうです。中国だけでなく、欧米にも食前酒で胃を温める習慣があることを考えれば、やはり、食事の前の冷たい水を飲むのは賢明なこととはいえないようです。

 また、「とりあえずビール」という習慣も、恐らく日本だけのものでしょう。他の民族に比べるとお酒が弱い日本人にとって、アルコール度数の低いビールはありがたい代物ですが、食事の前に飲むのはあまりおすすめできません。また、ビールのほとんどは水分なので、飲みすぎると水分過剰となり、ますます胃腸の働きを鈍くする恐れがあります。なお、ビールばかりでなく、清涼飲料水やお茶の飲みすぎも、胃腸に負担をかけたり、気血のめぐりを悪くする原因になることは、・で述べた通りです。

 季節でいえば、胃腸の調子を崩しやすいのは、梅雨〜夏。外部の湿気の影響で、体の中もじめじめしているのに加えて、暑いからとビールや冷たいお茶をたくさん飲んでしまいがち。こうして体の中によぶんな「水毒」がたまると、食欲不振や下痢、胃もたれなどの症状が現れるようになります。また、細菌やウイルスを殺す力も弱くなるため、食中毒や食あたりも起こしやすくなります。O-157のような細菌から身を守るのにも、台所を清潔にすることより、体の抵抗力を養っておくことのほうがずっと有効です。そのためにも、冷たい飲み物は本当にのどが渇いたときのためにとっておき、ふだんは温かいお茶でのどを潤すようにしましょう

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肺

緊張したとき、深呼吸をしたくなる理由

 私たちは、いつもほとんど意識することなく、息を吸ったりはいたりしています。この呼吸という作業は、ご存知のように肺という臓器が行っています。

 息を吸うとき、肺は大気中のきれいな空気(清気)を取り入れて大きく膨らみます。そして、息をはくときには、体の中で不要になった「濁気」を外に排出して、ガス交換を行っています。

 息をはくという行為には、もうひとつ大切な意味があります。脾胃が食物から作りだした気(穀気)と、先天的に持っている気、そして肺が自ら取り入れた清気は、息をはくときに全身に運ばれていくのです。心臓がポンプとなって血を全身に送り出すように、気は肺のポンピングによって全身にめぐっているわけです。

 よく、気持ちを落ち着かせるために、大きく深呼吸をしますが、これは知らず知らずのうちに「気」のめぐりをコントロールしようする行為ともいえます。なお、深呼吸の効果を高めるためには、吸うことより、はくことに重点を置くのがコツ。細く、長く、静かに息をはき出すことで、気が全身に有効にめぐり、また、心拍数を安定させることができます。心臓と肺との関係はまたのちほど述べますが、呼吸をすることで心臓の動きをある程度コントロールできるのは確かです。これは、スポーツクラブやサウナに置いてあるような血圧計(心拍の強さが表示されるもの)を使えば、簡単に目で確認することができます。血圧を測っているとき、心拍の強さを示す点滅をよくみてください。息を吐いているときには心拍数が少なく、弱くなるのに対し、息を吸うと、心拍数が若干多く、そして強くなることが分かります。数だけなら、自分で脈をとることでも確認できるはずです。

 緊張したり、イライラしたりするとき、呼吸は自然と速く、浅くなります。この状態が長く続くと、気の滞りを招くもとにもなりますので、ときには、意識して深く呼吸をすることも大切です。ちなみに、世界各地に呼吸による健康法がありますが、その基本はどれも「ゆっくりと深く息を吐く」ことなのです。また、お坊さんが毎日お経を唱えるのも、呼吸法のひとつという見方もできます。もっと身近なところでいえば、楽しい気持ちで歌ったり笑ったりすることなどは、究極の呼吸法といえるかもしれません。

 防衛力の元締めは、肺

 漢方では、肺は口や鼻での呼吸ばかりでなく、皮膚呼吸もコントロールしていると考えています。

 「気」の項でも述べましたが、口や鼻、皮膚といった体表面には「衛気」という気のバリアがあり、ウイルスや細菌から体を守っています。このバリアの元締め的存在が肺です。昔から「乾布摩擦をすると、風邪をひきにくくなる」といいますが、これは、皮膚を鍛えることは、結果的に肺を鍛えることになるからなのです。また、風邪をひいたあとに肌が荒れやすくなるのも、肺と皮膚との関係を物語っているといえるでしょう。

 肺の機能が低下すると、風邪を引きやすい、ちょっと風にあたっただけで寒けがする、汗が出やすい、といった症状が現れるようになります。程度が進むと、息切れしやすい、せきが出やすい、声に力がない、疲れやすい、などの症状が現れることもあります。

 ただ、大人の場合、肺の機能だけが低下することはそれほど多くありません。食生活の不摂生やストレスなどでまず胃腸がやられて、その影響で肺がエネルギー不足になるというケースがほとんど。つまり、肺を丈夫にして、風邪をひきにくくするためには、食生活から改めることが大切です。

 ただ、子供で風邪をひきやすいのは、まだ肺の機能が未熟なことが原因と考えられます。風邪をひかないように、寒い冬などは暖房の効いた部屋で一日中遊ばせる、というお母さんがいるかもしれませんが、エアコンの使い過ぎは、かえって体の抵抗力を弱めてしまいます。肺の機能を高めて、病気に負けない抵抗力をつけるためには、暑さ寒さを肌で感じさせることも必要です。また、水泳は、心肺機能を高めるとともに、皮膚に刺激を与えることができますので、風邪の予防には最適といえます。室内プールなら、水温も室温も適度に保たれているので、寒くて風邪をひくという心配もありません。春や夏から始めれば、翌年の冬はずっと元気に過ごせるようになるはずです。

 なお、肺がいちばん苦手とする季節は、乾燥した秋〜冬と言われています。日本の秋は、一年の中でも最も穏やかな気候のため、比較的病気は少ないのですが、「肺陰虚」タイプの人にとっては確かに過ごしにくい季節かもしれません。肺は適度に潤っているのが健康な状態ですが、肺の潤いが少ない「肺陰虚」の人は、風邪をひいたあとに声が枯れたり、空せきがいつまでも続いたりしやすいのです。外の空気が乾燥していると、そういう傾向がよけいひどくなります。

 ちなみに、乾燥が激しい中国では、秋になると、麦門冬や天門冬といった生薬をお茶にして飲んだり、白キクラゲ、百合根、梨など、潤肺作用のある食べ物を食べて、肺やのどを乾燥から守るのだといいます。長距離列車の中でも、白キクラゲやハスの実をシロップ煮にしたデザートが出てくることがあり、これが秋の風物詩のひとつにもなっています。

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心

「こころ」のある場所は?

 心臓は、生命の維持に必要な血を全身に送り出す大切な臓器です。この働きに関しては、西洋医学でも漢方でも解釈の大きな違いはありませんが、漢方で「心(しん)」といった場合には、もう少し広い意味があります。中でも特徴的なのは、情緒や感情といった「こころ」、つまり、脳の働きの一部を含むと考えている点です。

 血を全身に送る臓器が、「こころ」と深い関係にあるという考え方に、違和感を覚える人もいるかもしれません。でも、突然「わっ」と驚かされて、真っ先に反応するのは心臓です。また、憧れの人に出会ったときに高鳴るのは、やはり心臓なのです。

 前にも述べたように、西洋医学が、こころの問題を肉体とは別の問題としてとらえるのに対し、漢方では、こころと体とは必ず影響しあうものと考えています。驚きや喜びといった「こころ」の動きを心しんという臓器の機能としてとらえるのは、「心身(しんしん)一如(いちにょ)」の発想をもつ漢方ならではといえるでしょう。

 喜・怒・思・悲・憂・恐・驚といった感情のうち、心(しん)と最も関連が深いのは、「喜」という感情です。喜びは、怒りや悲しみに比べるとプラス面の多い感情であり、心のポンピング作用、つまり、血を順調に送り出すことにも役立ちます。しかし、過ぎたるは及ばざるがごとしで、喜びすぎてしまうと、かえって心しんの機能に失調をきたし、動悸がしやすい、びっくりしやすい、気持ちが落ち着かない、眠りが浅くてよく夢をみる、といった症状が現れるようになります。このことは、例えば「受験前なのに、恋愛のことで頭がいっぱいで勉強が手に付かない」といった経験があれば、納得がいくのではないかと思います。

 また、〈?血〉のところでも触れましたが、常にテンションが高く、何事にも夢中になりやすい性格の人は、狭心症や心筋梗塞を起こしやすいといわれています。これは、精神的なものが、血を送り出す心の機能に影響を与えることを裏付ける事実といえるでしょう。

 それからもうひとつ、心には「熱源」としての役割もあります。心は、血を全身に送り出すとき、同時に体に必要な熱も産生しているのです。はしゃぎすぎたり、興奮したりして、夜眠れなくなることがありますが、これも、心の機能が一時的に失調したために起こる現象といえます。感情の動きに合わせて、心拍数が早くなり、それと同時に熱が余分に産生されてしまい、体が安らかに寝付けるような状態でなくなってしまうのです。また、ふだんから眠りが浅くて夢ばかりみている人や、何かあるたびに、遠足前の子供のように興奮して眠れなくなる人などは、心が過敏な状態になっているのかもしれません。

 心に問題が起こる原因はさまざまですが、やはり、最も影響が大きいのは精神的な問題です。働き盛りの世代には、「仕事が楽しくて、ストレスなど感じる暇もない」という人もいるようですが、たとえ精神的にストレスを感じていなくても、休息も適度にとらないと、体のほうがついていけなくなってしまいます。こういうタイプの人は、お休みの日にもあれこれ盛りだくさんのスケジュールを立ててしまうものですが、ときには何もせずにのんびりと過ごす時間を作ることも大切です。

肝

ストレスと渡り合う、肝という臓器

 腹が立つことを、「頭に血が昇る」といいますが、これは単なるたとえではありません。かっとなって、顔が紅潮したり目が血走ったりするのは、実際に血が顔や頭のほうに集まるからなのです。こんなふうに、血を頭のほうにひっぱっていくのは、「気」の仕業です。

 この気をうまくめぐらせたり、発散させたりするのが、気のコントロールタワー、肝の役目です。物事に動じないことを「肝(きも)(胆)が据わっている」と言いますが、実際、肝と胆が丈夫なら、嫌なことも案外サラリと受け流すことができるもの。逆に、怒りっぽかったり、いつもイライラしているという人は、肝の機能に問題が起こって、気のめぐりが悪くなっている可能性があります。

 先ほど、情緒や感情は「心」という臓器との関連が深いという話が出ましたが、肝もまた、精神・情緒と深いつながりをもつ臓器なのです。

 こころの問題を考えるとき、心と肝のどちらの影響が大きいかを判断するのは簡単ではありませんが、おおまかにみると、イライラする、カッとなりやすい、という「暴発型」は肝、くよくよしたり、めそめそしたりの「落ち込み型」は心に問題があることが多いようです。ただし、肝や心を治療したからといって、持って生まれた性格まで変えられるわけではありません。ただ、同じようにストレスを受けても、笑って済ませられることもあれば、すぐにカッとなることもあります。そういったストレスの受け止め方を変えることなら、十分に可能といえます。

 さて、この肝には、血を蓄えたり、血流量をコントロールするという役目もあります。

心によって送り出された血が、どこかで滞ったり、あるいは流れすぎたりしないように、血管を縮めたり緩めたりしながら、全身にうまくめぐらせているのです。

 女性の月経をコントロールしているのも、やはり肝です。女性の場合、ストレスで生理不順になったりすることがありますが、これも、ストレスの影響で肝の機能が乱されたために起こる症状と考えられます。また、更年期に現れやすいイライラ、頑固な肩こり、のぼせ、ほてり、といった不定愁訴も肝の機能失調がかかわっていることが多く、この場合、肝の機能を調節する漢方薬を用いることで、かなりの治療効果をあげることができます。

恋をすると目がキラキラ輝く理由

 恋をしているときや、好きなことに没頭しているときには、誰でも、目がキラキラと輝いているはず。逆に、無気力なときには、「目が死んでいる」「目に力がない」ということになります。なぜ、目がこれほどまでに精神状態を反映するのか、漢方的な見地で考えてみましょう。

 漢方では、鼻は肺、口は脾というように、感覚器と臓器は密接なつながりがあると考えています。目と最も関係が深い臓器は、実は肝なのです。もうお分かりだと思いますが、よい精神状態のときに目が輝くのは、肝が順調に機能していることを表しているわけです。また、目がしょぼついたり、疲れやすい、傷む、といった症状は、肝の気血をめぐらせる機能が失調していたり、肝に蓄えられるはずの血が不足しているときに出やすい症状です。

 ちなみに、出産のあとは、目が疲れやすくなるため、雑誌もテレビもみないように指導されますが、これも出産による血の消費で、肝に蓄えられていた血が不足し、目にまで栄養が行き渡らないからだと考えることができます。特に、出産前から「血虚」の傾向がある人は、出産後に目のトラブルが起こりやすいといわれています。

 ただし、目の問題の中でも、老眼やかすみ目など、加齢による影響が大きい症状は、「腎」との関係も考える必要があります。腎は、人のエイジングをコントロールしているともいえる臓器だからです。

 次は、この「腎」について詳しくみていくことにしましょう。

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腎

腎は、成長や老化に深くかかわる臓器

 口から取り込まれた水分は、胃腸で吸収されたのちに血管に入り、体の各所をめぐったあと、腎臓で尿となって膀胱から排泄されます。漢方では、このような水分代謝の働きを行うとともに、成長、発育、生殖、老化といったエイジングにも大きく関係しているのが、腎という臓器だととらえています。では、まず腎が蓄えている「精」というエネルギー物質のことから説明しましょう。

 これまで、気を「生命エネルギー」であると紹介してきましたが、その気の貯蓄分ともいえるのが、精です。「精力」「精を出す」「精いっぱい」「精根尽きる」などの言葉を並べると、その存在の大切さが分かるかもしれません。

 この精という物質は、初めは親から授かり(先天の精)、その後は飲食物などから作り出される「後天の精」の補充を受けて、どんどん成長していきます。気だけでなく、血や水も、この精があってこそ生み出されるものです。「先天の精」は、いわば、遺伝的・先天的な体質を決める素因といえます。ただ、先天の精が充実していなかったからといって、必ずしも虚弱体質になるわけではありません。大切なのは、むしろ後天の精をどう補うかということのほうだからです。

 一生の中で、精が最も充実しているのは、思春期から壮年期、つまり生殖能力がある時期だと言われています。それ以降は、腎精は徐々に少なくなり、それと同時に老化も進んでいくのが、自然な流れです。

 ところが、不摂生な生活などによって気・血・水を消耗し、いざというときのための貯蓄であるはずの精まで使い込むような事態になると、まだ若いのに、目が見えづらい、耳が聞こえづらい、不妊、性欲減退、動作が鈍くなる、腰がだるく重い、記憶力が減退する、といった老化に似た症状が現れることになります。

 なお、「不摂生な生活」というのは、不規則な食生活、慢性的な睡眠不足、過労といったこと以外に、性生活の不摂生も含まれます。これは、「精」という字からも想像がつくかもしれません。

 少々話がそれましたが、腎精がいかに大切なものであるかは、分かっていただけたのではないかと思います。

体の中の「火」と「水」のバランスとは

 腎には、水分代謝をコントロールし、「精」というエネルギー物質を蓄えるという役割以外に、体の中の「火」と「水」のバランスを保つという働きも備えています。

 「火」にたとえたのは、体を温める原動力のこと。漢方では「腎(じん)陽(よう)」という名前で呼ばれています。この「火」の燃料となる「薪」にあたるのが、先ほど説明した「精」です。一方の「水」は、体に必要な水分のおおもとである「腎(じん)陰(いん)」を指しています。

 体の中で起こっているできごとを、たき火に水が入った鍋をかけて、水を少しずつ足していくという状態にたとえてみましょう。

 火の燃え方と、注がれる水の量のバランスがとれていれば、いつも水は一定の温度に保たれ、量も減ったり、多くなったりすることはありません。ところが、水の注ぎ方が足りないと、火の勢いで水がどんどん蒸発してしまいます。これが、腎陰が不足した「腎陰虚」と呼ばれる状態で、実際には、体の熱感、ほてり(特に手のひらと足の裏)、口やのどの渇き、といった熱症状が現れます。

 逆に、水をどんどん足しすぎると、水の量が多くなって、温度も下がり、さらに水を注ぐと、あふれて火が消えてしまことになります。このように、火より水の勢いが強い「腎陽虚」の状態になると、足腰の冷え、手足の冷え、尿の色が薄くて量が多い、むくむ、といった症状が現れやすくなります。

 火と水とのバランスがとれていれば、薪は少しずつ炭化して、最後には燃えかすとなって消えていくように、人間の自然の摂理としての老化があり、その先に死があります。ところが、火の勢いが強すぎると薪が浪費され、水があふれると薪が濡れて使い物にならなくなってしまうのと同じで、腎陰虚や腎陽虚の程度がひどくなり、「精」にも影響が出てくると、先にお話ししたような老化現象に発展することになります。

 なお、体の中の「火」と「水」のバランスは、加齢によっても変化が起こります。子供のころは「火」の勢いのほうが強いので、体温も大人より高く、非常に活動的です。また、老年になって火の勢いが弱くなると、足腰が冷える、トイレが近くなるなど、「水」による症状が現れやすくなります。また、男女差というものもあって、どちらかといえば、男性は「火」の勢いが強く、女性は「水」による冷えなどの症状が出やすい傾向があります。もちろん、これにも個人差があることはいうまでもありません。

相互に協力しながら働く五臓

 このように、五臓にはそれぞれの役割があり、お互いに協力しあいながら機能しています。便宜上、臓器の機能失調から起こる症状を別々に紹介しましたが、実際には、ひとつの臓器に問題が起これば、必ず他臓にも影響を与えるため、いくつかの臓器がともに機能失調を起こすことが多いのです。

 そのため、表面的に現れている症状だけをみて、体のどこに問題があるかを特定するのは困難です。例えば、下痢は胃腸の機能失調から起こる症状ですが、もとをたどれば、ストレスの多い生活が肝の機能を失調させ、胃腸は単にその影響を受けただけ、という場合もあります。こういうときに下痢止めの薬を投与しても、単なる対症療法にしかなりません。おおもとの問題になっている生活習慣を改善しながら、胃腸と肝を一緒に治療することで、始めて根本から症状を治すことができるのです。

 なお、五臓の関係は、「相克」という一定のルールがあると考えられています。その中でも、特に関係が強いものをいくつか紹介しておきましょう。

●脾と肝
 心配ごとがあると食欲がなくなったり、胃腸の具合が悪いときには、なんとなく気分もすぐれないことでも分かるように、消化器である脾と、精神・情緒をコントロールする肝の関係は、たいへん密接です。臨床的にも、ストレス性の胃炎や過敏性腸症候群などは、肝と脾胃の関係がうまくいかない「肝脾(かんぴ)不和(ふわ)」が原因となっていることがよくあります。

●脾と肺
 漢方に、「肺は貯痰の器、脾は生痰の源」という言葉があります。痰とは、体の中に滞っているよぶんな物質(水毒も含む)のことを指し、のどから出る痰もそのひとつです。この言葉は、水分代謝は胃腸の機能低下が原因で発生することが多く、肺はその影響を受けやすいことを表しています。実際、朝起きたときなどにたくさん痰を吐き出す人は、日常的に水分をとりすぎいて、胃腸の機能が失調しているというケースがよくみられます。

●脾と腎
 人間の根本的な体質の決め手となるのが、この二臓です。腎に蓄えられた「先天の精」によって先天的な体質が決まり、後天的な体質は、「脾胃」が飲食物を消化・吸収して作り出す「後天の精」によって決まります。このことから「腎は先天の本、脾は後天の本」といわれています。

●肺と心
 急に走り出したときには、心拍数が高くなると同時に呼吸も荒くなるように、気のポンピングを行う肺と、血のポンピングを行う心は、常に影響しあいながら動いています。このことは、「気は血の帥」「血は気の母」と言われるほど密接な気と血の関係にも、大きな影響を与えています。

●心と肝
 血を送り出すのが心、血流量をコントロールするのが肝です。心と肝が正常で、協調しあって働いている限り、血のめぐりに異常が起こることはありません。なお、心が送り出す血が不足すると、肝に蓄えられている血の量も不足し、逆に、肝血が減った場合も、心は十分な血を体に送り出すことができなくなります。

●心と腎
 心が血を送り出すときに発生する熱は、体を温める原動力である「腎陽」を助ける役目を果たしています。また、「腎陰」は、心の過熱を防ぐラジエーター役となっています。
つまり、体の中の「火」と「水」のバランスを決めるのが、この二臓なのです。

●肝と腎
 「肝腎同源」という言葉があるほど、肝と腎の関係は密接です。これは、肝が蓄えている血と、腎が蓄えている「精」の関係の深さも表しています。また、腎は先天的な体質をつかさどる臓器ですが、女性の場合は血との関係が深いことから「肝は婦人の先天」とも言われ、月経や妊娠・出産の異常、あるいは更年期障害などを治療する際には、肝と腎の両方をみることが大切だといわれています。

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