「気・血・水」や「五臓」といった漢方独特の考え方が身に付いてくると、自分の体のことも、「気のめぐりが滞っていないだろうか」「最近、血が不足ぎみなのでは」という切り口で考えたり、「どうも脾と肝に少し問題があるようだ」「腎が弱っているかもしれない」など、五臓を基準にして考えることもできるようになります。
特徴的なのは、それぞれの方向からみたことを総合することで、体に起こっていることがより綿密に分かるということです。
例えば、円筒形の箱は、上からみると丸、横からみると四角というように、角度を変えると全く違う形にみえます。そして、いろいろな方向からみた形を総合して、初めて円筒形であることが分かります。これと同じように、体も「気・血・水」「五臓」、そしてこれからお話しする「八綱弁証」と、いろいろな角度からみてこそ、全体をきちんと把握することができるのです。
八綱弁証は、「寒・熱」「表・裏」「虚・実」「陰・陽」と、いう二×四のパターンから成り立っています。すでに、「腎陰・腎陽」「陰虚」といった言葉が出てきているので、「なぜ、水分のことを陰液というのだろう」「漢方では、不足を虚というのだろうか」などと、興味をもった人もいるかもしれません。
寒熱や表裏はともかく、虚実や陰陽というと、なんとなくとっつきにくいように思えるかもしれませんが、内容的には案外分かりやすく、実生活にも役立つ概念です。
それでは、どんなときに八綱弁証が役に立つのか、実例をあげながら説明していくことにしましょう。
風邪を漢方で治療する場合、最も重要視するのは、体温計の数字ではなく、本人の自覚症状です。たとえ38度の熱があっても、ぞくぞくと寒けがするときには、体を温めて発汗させ、体がほてって布団をはいでしまうようなときは、熱をさましながら発汗させるという方法をとります。つまり、「寒熱」という物差しを用いて診断・治療するわけです。
このように、寒さや冷えの症状があるときには、体を温める「温熱薬」を用いて治し、炎症などの熱症状があるときには、熱を冷ます「寒凉薬」を用いるというのが、「寒熱」の基本的な考え方です。これは、風邪のような急性病の治療だけでなく、例えば便秘のような慢性症状の場合も、おなかに熱がこもって出ないのか、それともおなかが冷えて腸の動きが弱くなっているのか、といった判断の材料になります。
この寒熱の考え方は、日常生活にも十分活かすことができます。例えば、食べ物。漢方では、薬にも寒熱の区分けがあるように、食べ物の性質にも寒熱があると考えています。基本的な考え方は薬と同じで、体が冷えやすい「寒」タイプの人は、温や熱の性質をもった食べ物を多めにとり、体のほてり、熱感、のどの渇きといった症状がある「熱」タイプの人は、熱を冷ましてくれる涼や寒の食べ物を適度にとったほうがいいとされています。
ちなみに、温・熱の性質をもつ食べ物は、ネギ、生姜、ニラ、羊肉、エビなど。寒・涼性の食べ物には、カニ、豆腐、トマト、ゴボウ、柿などがあります。また、寒熱どちらにも偏らないものは「平性」と呼ばれ、米、大豆、キャベツ、人参、ジャガイモ、卵などがこれに当たります。
なお、食べ物の性質や食べ方については、後ほど詳しく紹介しますので、そちらも参考にしてください。
ここでも、風邪を含めた感染症の話を例にとりましょう。感染症を診断するとき、西洋医学では、時間経過による病気の流れはあまり重視しませんが、漢方には、病気は体の表面から奥に入っていくものであり、こういった病気の流れをつかむことが大切だという考え方があります。「表裏」は、病気の進行度を表す基準です。
おおまかに分けると、皮膚などの体表面にあるときは「表」、内臓にまで達してしまったときには「裏」で、それぞれに見合った薬を用いて治療します。
また風邪の例になりますが、漢方では体表面がぞくぞくするようなときには、「表」にウイルスがとどまっている状態と考え、「解表薬」――つまり、汗をかかせる薬を用いてウイルスを追い出そうとします。そして、風邪が長引き、咳や下痢といった症状が現れたときには、肺や胃腸などの「裏」にウイルスが侵入したと判断し、また違うタイプの薬を用いて対抗します。
このように、漢方の風邪の治療は非常にきめ細やかです。風邪のタイプや進行状況に合った漢方薬を飲めば、西洋薬を用いるよりもずっと早く治すことができますし、体に余計な負担をかける心配もありません。ただし、ひき始めの軽い症状に「裏」に対する薬を用いたり、すでに「裏」までウイルスが入り込んでいるのに、軽い発汗剤を用いるといった治療では、効かないばかりか、かえって風邪を長引かせてしまうこともあります。このことからも、「風邪には○○湯」といった使い方では、漢方薬本来の役割は果たせないことがよく分かると思います。
虚については、「陰虚」「気虚」といった言葉を使ってきたため、「不足」という意味を持っていることはすでにお分かりかと思います。実というのは、虚の反対、つまり「余剰」を示す言葉です。
もう少し詳しく説明すると、「虚」のほうは、体にとって必要な気・血・水が不足したときに使います。体に充満していなければいけないものが、「虚ろ」になっているという意味だと考えれば、分かりやすいはずです。また、「脾虚」「心血虚」「肝腎陰虚」など、臓器の機能低下を表す場合もあります。
対する「実」のほうは、体にとって有害なものの存在や病理的な反応を示す概念で、ウイルスの感染によって引き起こされる病理的な反応(例えば発熱)を意味することもあり、「気滞」や「オ血」、「水毒」など、体の機能失調から生じた病理産物を指す場合もあります。
虚と実の違いを、具体例をあげて説明しましょう。〈寒熱〉のところで、「体のほてり、熱感、のどの渇きといった症状がある『熱』タイプの人」という話をしましたが、このような熱症状も、「虚」から起こる場合と「実」から起こる場合があるのです。
「実の熱」は、体によぶんな熱がこもっている状態を指します。この場合は、「寒凉薬」で熱を冷ますという方法がベストですが、「虚の熱」の場合は違います。虚の熱は、言い換えれば「仮の熱症状」。体の熱が余っているのではなく、体のラジエーター役である「水」が不足しているために、火と水のバランスが崩れ、熱症状が出ているわけです。この場合、熱をとりのぞくと、火と水の両方ともが不足した状態になってしまうため、「水」を補う治療が大切なのです。
このように、「不足(虚)は補い、余剰(実)はとりのぞく」のが、漢方の治療の鉄則です。すぐには理解しづらいかもしれませんが、自分の健康状態をチェックするときにもたいへん重要な概念なので、ぜひ頭の中に入れておいてください。
なお、雑誌などで、よく「あなたの体質は、虚証?実証?」といった記事をみかけます が、虚証が虚弱体質で、実証は体力のある人という解釈は正確ではありません。虚と実と いうのは、一人の体の中に「同居」している場合が多いからです。
例えば、〈水〉の項で出てきた「消化吸収機能が弱っていると、取り入れた水分を有効活用することができず、体に必要な『水』は不足し、逆によぶんな『水毒』はあふれてしまう」という話を思い出してください。このように、水が不足した「陰虚」と、「実」の病理物質である「水毒」が、同じ体の中で起こることもあるわけです。
「寒熱」「表裏」「虚実」とみてくると、漢方には、物事を二つに分類する考え方が多いことに気づくと思います。その総括ともいえるのが「陰陽」です。ではまず、陰と陽とに分類したものをいくつかあげてみましょう。
陰…寒、裏、虚、水、夜、重い、女、暗い陽…熱、表、実、火、昼、軽い、男、明るい
このように、ありとあらゆるものは、陰と陽に分けて考えることができます。寒熱、表裏、虚実も例外ではありません。
世の中の現象や物事を、陰と陽とに分けるのは、それほど難しいことではありません。
日常会話の中でも、「陰気な人」「春らしい陽気」など、ごく自然に使い分けているはずです。ただ、陰と陽は、あくまで相対的なものなので、比べる対象によっては、陰が陽に、陽が陰になることもあります。例えば、秋冬は陰、春夏は陽に属しますが、秋と冬を比較した場合には、冬が陰、秋が陽というジャンル分けになるのです。
陰と陽とは、相反する性質をもちながらも、お互いに育てあうという関係にあります。「火」と「水」、「男」と「女」といった関係を考えれば、何となく納得がいくはずです。
この陰と陽の関係を、日々の生活パターンに当てはめてみましょう。「陰」の時間帯である夜にぐっすり眠ると、「陽」である昼間も元気に活動することができます。また、昼間ダラダラと過ごすと、かえって夜眠れなくなるものです。熟睡するためには、昼間活発に動くことが何より効果的なのは、経験上誰にでも分かることでしょう。これが、「陰と陽はお互いを育てあう」ということなのです。また、体内のことも、〈腎〉の項で出てきた「腎陰」「腎陽」の関係を考えれば、どちらかが行き過ぎたり不足したりすると、必ずもう一方にも悪影響が及ぶということが分かるはずです。
これら「陰陽論」は、漢方基礎理論の中でも重要な位置を占めており、陰陽論抜きで漢方の考え方を根本から理解するのは困難です。しかし、理論はあくまで理論であり、すべての事柄を陰陽論で解決できるわけではないということも、同時に知っておいて欲しいと思います。